ゴー宣DOJO

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トッキー
2018.12.10 12:01

生身の人間の生活風景からの道場感想

昨日の道場感想をご紹介します!

 



昨日の道場の感想を新鮮な感覚のうちに書きたいと思います。

日本人よりも安い給与&いつでも首を切ることのできる労働力として、
外国人労働者を求める経団連の要望に応えるために、
移民への警戒心を持つ国民を騙すつもりで「移民ではないですよ~」と
まるで悪徳商法のように国民を騙しながら、
移民ウェルカム法案をチャッチャと作ってしまおうとする
現政権の「悪事」への警鐘を鳴らす道場になったと思いました。

まるで、「悪徳商法対策」を聴いているような気分。
悪徳商法をしているのが自分の国の政権であるという笑えない現状。

安易に安価な労働力を求めて外国人労働者を日本に呼べば、
お安く手軽に人手不足が解消されて安価な労働力をお手軽に確保出来るでしょうが、
彼らが定住している日本の地域ではどのような現象が起こっているのでしょうか?

私の身近な地域の例を挙げますと、
彼らは、家賃の安い住宅をあてがわれるため、
当然、一つの場所に寄り集まって生活するようになります。
家族で住んでいるため、彼らの子供もそこに暮らしている。
彼らの子供たちはその地域の学区にある公立学校へ通うことになり、
必然、その地域の学区にある小学校はほかの地域よりも
「多国籍な」クラスとなります。

授業は日本語で書かれた日本の教科書を使って行われますが、
日本語が出来ない生徒がクラスに多数いるため、
教科書通りの授業展開をすることが難しくなる。
補助教員をつけたくても、自治体に予算が無いとか、
多言語に対応できる補助教員がいないため、
仕方なく日本語のわからない子供は放置・・・。

言葉が通じないので、日本人の子供と外国の子供同士の
コミニュケーションを取ることが難しくなるため、
気が付けばクラスの中は分断されていきますよね。

その「分断」を防ぐための方法として、
「人権」を前面に出した「多文化共生教室」なるものを
開いたりする学校もあると聞きます。

本当は、言葉の通じない人同士の共生は難しいのではないでしょうか。
それは全く当たり前のことで、人として自然な事なのではないでしょうか。
その不自然なことを無理やりやるために、
イデオロギーとしての「人権普遍主義」が巧妙に利用されてはいないでしょうか。

人権とは、人が生まれながらにして持っているものであるとする「人権普遍主義」には、どこか胡散臭く、警戒心を持ってしまう私がいます。
業もある生身の人間の生活風景を眺めていると、そのように感じてしまう自分がいました。

今回も深く楽しく参加させていただきました。
ありがとうございました。
(よっしーさん)

 



辞書や教科書に書いてあるようなことを勉強するより先に、まず「それ、不自然!」と直感する感性を大事にして、それを出発点に思想を始めるゴー宣道場でありたいと思います。

トッキー

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